哀愁の酒田
酒田。
それは私のふるさと。
北前船の貿易で栄え、西の堺、東の酒田と言われるほど栄えた町。
豪商達が幅を利かせた当時の繁栄は今はない。
現在は他の地方都市と同じく高齢化、人口減少と衰退の速度を速めている。
年に数回帰省するが、その度に認めたくないのだが確実に寂れていっている。
故郷を愛するものとして悲しいことだ。
子供の頃から釣りが好きで乗り気ではない友達を無理やり誘い
自転車こいで古湊埠頭や砂防提で投げ釣りをしていた。
子供のちょい投げでも半日もやればキスが20匹程度は釣れたものだ。
味の良いマコガレイやビールの大瓶のようなアイナメも結構釣れた。
思い出はさておき
先週酒田で釣りをする機会に恵まれ
竿を出してきました。
墨跡もほとんど無いし釣り人自体も居ない。
ワオ!期待薄っ!(笑)
暫し、日常の全てを遮断し釣りに没頭!!
幸福の時が過ぎる。
なんとか意地の一杯でしたが粘る意欲も失せるほど
アタリも無しでした。
あとエギにダツが掛かりましたが何とか外れて一安心。
「お前がいるんじゃダメだなー」(笑)
「1杯だけど親父とお袋の晩酌のつまみ位にはなるわいな」
と帰路につく。
普段は帰省してもナイトゲームばかりで分からなかったが
良く乗ってたテトラの山が欠けてたり、割れてたり。
温排水の赤い橋もひどく色あせていた。
中学生の頃温排水の橋目掛けて投げ込んだら橋を超えちゃって
釣れたヒイラギが三匹、垂直に吊り上げられていく光景が昨日のことのように思い出される。
25年前の事を思い出し一人笑ってしまう。
ヒイラギが可笑しかったのではなく
25年後に同じように竿は振っているが
結婚して子供も2人居て、一人会社のような忙殺状態の仕事して
海命!なのに海の無いところに住んでて
釣りに行くのに四苦八苦してるなんて知るよしもない
ただただ、釣りたいだけの、あの日ののん気な少年が見えた気がしたのだ。
酒田を離れもうすぐ10年になる。
10年という年月は哀愁を感じるに十分であった。
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